Catalogo Foscarini Maestrie
211 Mastery 210 Maestrie 上げを得るには、ストライプの中のあ る種のむらを強調することが必要で、 照明器具の表面はホイール-グラウン ドされるが、これは白色を均一に分配 するために、シミができることを避ける ための加工法である。このようにして のみ和紙 (Isamu Noguchi の照明器 具の様な ) で作られたものによく似た、 温かみのある色調が得られ、ガラス照 明の典型である蛍光灯に比べて、「置 き換える」ことができるのである。そ の他のガラスの効果を変貌させる方法 は、環境の色調に程よく溶け込むマッ トな色を用いることである。 Rodolfo Dordoni による照明器具 Buds のシリ ーズにおいて、我々の目論見は、グリー ン、グレー、ブラウンの色合いを用い てガラスの光沢効果を抑えることであ り、そこで酸化鉄とともにミネラルを 加えた、望みの色をつくり出す混合比 が難しいと言われる寒色を故意に使 用した。 Foscarini によるその方法が 門外不出となっている全ての溶解の実 験は、 Moretti にとって複雑で、そして 忍耐が必要とされた。「約 100kg の素 材、ガス代、人件費、製造に繋がらな かった物の分」など巨額の費用がかか ったが、馬鹿馬鹿しいことは刺激的で もあった。 Crea 社と Vetrofond 社は、この 様にして素材の使用に関して革新的な 製造を行ってきたが、それはとりわけ 技術的効果の反転を意味する;セメン トを家庭用品に変化させ粗野なイメー ジを取り除き、そして吹きガラスにはフ ランボワイアン的なディメンションを 失わせ、何か例外的なものとして、連 続生産の家具の色調の中で可能な限 りそれ自体をカモフラージュさせてい る。その結果、素材の認識が難易にな っている。 三番目のケースは FAPS 社の場合 であり、これまでの例とは異なり、革 新的でありながら、家庭ではあまり用 いられない、未だあまり開発が進んで いない素材の道を開いた好例である。 その一例として挙げるのは、会社のコ アビジネスの新しい方向付けに深く関 連するカーボンファイバーであり、以前 は高性能の釣りざお製造に焦点を当 てていた。 合成素材のロジックに忠実 に、 FAPS 社はガラス樹脂とガラスファ イバーの分野に新しいカーボンファイ バーを組み込ませた。経営者である技 師 Maurizio Onofri にとってそれは、 彼のマーケットに全く異なる分野の新 しいラインアップの製品をスタートさせ る意味を持ったが、性能が良くて重量 を抑えることのできるコンポーネント の探索は、常に冒険的であった。 これはまた、釣りざおは当然とし て、工業的ローラー、自転車のフレー ム、円筒形の帆のポール、帆のスラッ ト、舵のエクステンションの様な海上 用の製品に企業が新しく着手すること を意味する。 デザインとガラスファイバーの関 係はあまり長く続かず (1986 年に B&B のために設計された、ガラス樹脂のフ レームを持つ Richard Sapper による 洗練されたアームチェア Nena の製作 は、あまりにも複雑であった ) 、そして Alias 社は椅子の分野に関してあまり 経験が無いことが限界になり、以前に 着手した素材をまねたものではなく、 特別なロジックを持つ新しい複合素材 を見つける必要があった。 Marc Sadler が Foscarini 社に 提案した照明器具のプロジェクトは、 まさにガラスファイバーとカーボンフ ァイバーのコンビネーションの可能性 を秘めた開発に、最適なフォーマット のフロアスタンドランプの様に思わ れ、 FAPS 社も照明の実験プロセスに 参加した。 FAPS 社はこの二つの素材の経済 的繋がりとその共同作用性を持つ統合 について研究してきたが、そこから得た 答えは、ガラスファイバーの特徴は最 大の柔軟性を持つが、一方のカーボン ファイバーは反対にとても硬いという ことであった。 複合の秘密は、窯に入れられる前 のファイバーの種類と樹脂の種類の混 合にある。 Tress はリボン-コンポーネントの 「繊維」マトリクスを元にして作られた 照明器具であり、異なるタイプのリボン と異なる幅を持つ五本の細長い帯を重 ね合わせてボディ-柱を形成し、そして ベースとライトソーススクリーンの上部 にカーボンファイバーを用いた。 Mite はモダンな照明器具で、その可変の円 錐形の部分は近代的な外観処理の成 果である。 圧延台では、 Fausta と Lia が、 ガラスファイバーの生地(彼女らははス キンと呼ぶ)を伸ばした後、カレンダー にぴったりと付着させながら鋳型に当 てている。旧式で女性的でとても繊細 な作業であるが、時折男性によっても 行われることがある、しかしながら彼 女達は誰よりもこの作業を上手にこな す。ハイテクノロジーの工作機械の中 で、花嫁に衣装を着せるお針子を思わ せる処理段階が始まり、この静止した イメージは、しかしながらこの処理段 階にどれだけの時間が必要かを教えて くれる。カーボンファイバーの長くて黒 いフィラメントが、リワインダを通るこ とによりその構造を完璧にされるのに 対し、イエローヴァージョンは切れやす く消耗の多い繊細な半加工のケブラー 繊維糸が専有的に用いられる。 カーボンファイバーの堂々たるデ ィメンションは、環境対応の照明器具 Twiggy に対して推奨され実験が重ね られ、そのアーム製造にはまさに技術 的挑戦が強いられた。アームは折れ曲 がり上下可能で、屈曲において要望さ れたメカニズム的な特徴を得るため に、二つのパーツに分ける必要があっ た。 320 cm のロッドの開発には、カ ーボンファイバー製の下側の更に硬い 第一のエレメントと、先端にクリップと 強化用のバンドが加えられた強化ガラ スファイバー製の上側のエレメントに 分割された。ここで照明器具は、全体 的な強度を検査するために約 9kg の重 さが課せられ、アームの柔軟性を知る ために 150 本のサンプルが用いられた が、それらは最終的なロッドの決定を 下すために必要であった。 Twiggy の ランプシェードに対しては、黒い樹脂に よって色づけられたガラス繊維が用い られているが、樹脂の蓄積に関しては 慎重に分量が量られ、シミが無いモア レ模様を形成するために、窯から出る 時にクリーンにされる必要がある。 ニス塗りの過程は FAPS 社の工場 内で行われ、アームにブラック、オフホ ワイト、カーマインレッド、グレー、イン ディゴのラッカーを塗り照明器具の最 終的な外観を決定づける。 複合材料から得た軽さにより Twiggy の高さは 290cm にまで達 した、一方の Castiglioni の Arco は 25 0 c m の高さで立っていた。二つの 照明器具の重さには、この数十年間の 技術の進歩が表れている: Twiggy は 17kg 、 Arco は 64kg である。 4. この工業の輪郭に沿った行程は、 同時に新しくも古くもある。 Foscarini は 50 年の隔たりの 後、 Azucena 社と Danese 社が、当 時開拓していたのと同様の製品文化 の戦略を用いている。この二つの企業 は、時代に反する歩みを行い、今日、 その歴史的に重大な業績は一層讃え られている。社内生産や現地生産の 考えの後を追いかける事が無かった、 これらのエディター/メーカーの設立は 1949 年 (Azucena 社 ) 、そして 1957 年 (Danese 社 ) であり、買収や製造方 法への集中が、現代的プロジェクトの テーブルに座ることのできる唯一の 必要条件であるかのように思われて いた時、彼らは業務を異なる工業地 域や散在する生産拠点へと広げてい った。其々のロジックを混ぜ合わせな がら、工業と手工業の網の目の中に入 り込んだ (Bruno Danese は排水管 製造者へ灰色のポリプロピレンの管 を 30 度に切断するように要求したこ とや Enzo Mari の屑籠 In Attesa 製 造に縁を求めたことは有名である)。 連続生産へと移行できる処理フェー ズの研究は Foscarini が興味を持つ ものと同じであるが、細部にまで容赦 せず最適な品質スタンダードを探求す る、 Foscarini に対しての製造者の不 平は、 Danese 社のために製造してい た工業的職人の不平と同じ様に思え る。 Danese 社は制作者に関しての制 限が強く、排他的なポリシーを持ち、プ ロジェクトに関して自己認識を持ち続 けている ( Mari と Munari そして二人 の Danese のみ ) 。 Foscarini は多くの 労働資本を受け入れる開かれたポリシ ーを持ち、 Foscarini のカタログを彩 るコラボレーションを行うデザイナー が約33人いる。 企業を認識しうるポイントとして、 この多くの助力はプロジェクトの内容 から製造方法に至るまでの秤の針を少 しだが動かす。 今日成功したオペレーション は、 Andrea Branzi の言葉「暫定的な 器具の構成を通じてのみ遂行すること ができる」に思い出される様に、「全て の構造の複雑化を避ける」 (2) 一時的で 賢い器具である。暫定的かつ徹底的な 手作業は、このネオ・工業的な職人の 技能のディメンションである。 プロセスがかろうじて直線的であ り、プログラムし難い実行を基にしたこ の徹底的な研究の魅力は、ハイテクの 大きい研究所での製造と同じである。 日々行われる継続する仕事、絶え間な い変更と完全へのコンセプトにより革 新的な製造が可能になり、それはハイ パー-アクティビティに然るべき、無意 識で漠然とした状態から誕生した偶発 的な組み合わせから生じた、前進する 非常に小さいステップがもたらしたも のである。最初はロンドンを驚愕させ た V2 ロケットで、そして Nasa のサター ン5型ロケットで知られる、最も過激な 宇宙研究の父であるドイツ人の工学者 W ernher von Braun は、研究に対し て、職人の考えと同じ「何をしているか わからない時でもする」というモットー を持っていた。 ションチェーンの次の段階へ導入され ていくのである。 進行する交互しセグメントに分割 された生産ラインは、しかしながら、 これらのプロセスの段階の一方から他 方へと自然な移行をほぼ可能にしてい る。まるで映画のモンタージュのよう に、異なる特徴を共に結び付けること が可能で、品質原理の上に緊密な関係 と繋がりが築き上げられている。 3. 我々が追随したいと願っていた Foscarini のデザインに関しての製品 構成は、原材料を解釈する三つの方法 に結び付いた製造プロセスの、三つの シンプルな構造の周りを取り囲んでい る。それらは現代的なデザインの的確 な方向へと進んでいる:それらは新し い世紀の中で、意味深い第二のフォー マットを得たかのように、使用方式が シフトした原材料の進歩的な変換の方 向へ導かれている。実際それらはもは や原材料ではなく半原材料と呼べるも のであり、そして半原材料とは、二次製 品、ハイブリッド製品、常に何か別の物 に姿を変えることができる、前処理製 品に至るまでを私達に供給する工業的 再加工によって、形質転換された原材 料のことである。絶え間ない変化の条 件の中では、その品質を鑑定するのは もはやその質量ではなく、拡大と多用 途性の可能性であり、更には耐久力+ 軽さ+伸縮性の観点から解釈される。 今から取り上げるのは Crea 社、 Vetrofond 社、 FAPS 社の 3 社で、 7 人、 47 人、 35 人、が其々の従業員の 数であり、そこに一人、最大でも二人の 経営者数が各社にプラスされる。セメ ント、ガラス、カーボンファイバーは、 どの様にして 21 世紀に転換の段階の 必要性と、工業の配置転換に伴われ た、原材料の新しい理解が生まれたか を物語る章を開くマテリアルである。 今は 1945 年ではない、再転向のタイ プはボイラーからオートバイへ移行し た Iso や、堅い構造の爆撃機からスク ーターに変容した Piaggio とは同じで はない、しかしながら、今も尚、この 15 年間に及ぶ市場の混乱から生じた、企 業の製造様式を再考する方法である。 それが持つ特性は変わらないままで の見方の変化である。この変容をもた らすための構造の中身は変化したとし ても、工業的職人の技能が持つテーマ はもう一度、同一のタイプの指導的主 題とイタリアのデザインのクラシック な姿を通して再び思い起こされること であろう。 それはシーンに再び姿を現す作 業員-職人、経営者-設計者、製造者-出 版社と同様の偽りの姿を持つ。技術と 形の間、ディテールと性能の間、下請 の質と唯一の人物により専念された多 様な処理等、全ての分野においてある 種の問題解決人をつくり出すのがイタ リアのやり方である。 Olivetti の工員 Natale Cappellaro は、最初はタイ プライター MP1 の組み立て工員であっ たが、その後マルチオペレーションを 行う革新的な電子計算機の設計家と なった。技師 Carlo Barassi は、第二 次世界大戦中に爆撃機のタンクのフ ォームパッドの保護から始まり、最初 は自動車用の材料エラストラマーを用 いた新しいシート、後に Arflex の家庭 用クッション材に行き着いた。 Enrico Garbarino は Ettore Sottsass によ って、プレスしたメラミン樹脂に合板も しくチップボードをカップリングした「 フェイク」な表面を持つラミネートの製 造に対しての確信が与えられ、 Abet Print を開発した。彼らは我々の歴 史の支えそして中核であった。 Crea 社、 Vetrofond 社、 FAPS 社をフォ ーカスすることにより、 Foscarini は このディメンションを信じることを証 明した。 Crea 社は Giovanni Piccinelli によって作られたが、彼はセメント職人 としてキャリアを開始した。とても繊細 な処理が施される打放しコンクリート の故国とも言えるスイスで数年仕事を した後、 Darfo Boario に自らの会社 を設立した。建築製品とセメント製の コンポーネントは、建築業界の経済的 危機が市場に困難をもたらした 90 年 代の終わりまで生産的中核を成してい た。 Piccinelli は撤退を覚悟し、気晴ら しに花瓶を製作していたが、まさにそ の時、野外で用いるインテリアのエレメ ントや照明器具の注文を受け始めた。 小さいサイズの製品ならばリスクが少 ないと考え、チャレンジを決心した。ア ンダーカットの問題やパーツの鋳型か らの取り出しの判断に関しての豊かな 経験から、製品に関してのこの実質的 なスケールチェンジの難題を容易く乗 り越えた。 同時に、コンクリート建築コンポ ーネントに関する事業は、会社の伝統 としての中核のまま残し、需要の多い スレッショルド、縁石、バラスターの特 別注文の「寸法に合わせた」製造へと 移行していった。 Vittorio Moretti に とって Mario Botta によって設計され た Suvereto にあるワイナリー Petra は まさにギャンブルであり、 200 本の鋼 鉄の柱の外装についての複雑な問題の 解決を提案した。助骨で補強されたコ ンクリート製の 200 のシースは、高さ 3,80 m 、其々の重さは 15 トンで、二つ のパーツから成り立ち、コンポーネント デザインの手本となった。 ランプシェードがセメントである Lucidi と Pevere による Aplomb の 様な一見実行困難なプロジェクトから Foscarini とのパートナーシップが始 まった。 Crea 社はベルガモ地方の鋳型製 造者に仕事を委任していたが、この業 者にとって、照明器具 Aplomb の円錐 形の様に小さくてデリケートな物体は、 まさしく煩わしい代物であった。鋳型 製造業者が近く引退することを知った 折に、 Piccinelli は鋳型製造の技術を 習得して自らが行えばプロセスは大幅 に単純化するだろうと考え、そしてそれ を実行した。プロジェクトのある段階を 業者任せにすることはあまりにも不確 実であったので、 Piccinelli は当時ゴム とシリコンの製造も扱う会社の工場の 一角で、自分で鋳型を製造する方法を 習得した。委託の問題は鋳型にかかる コスト (600/700 ユーロ ) ではなく、時 間のロスと自社でプロジェクトの流れ を管理できない不便さであった。それ は進行中の作業であり、多くの時間が 必要とされる場合があるので、全てを 身近で行うことが望ましかった。実際 Aplomb の最終的解決策を見出すため に 200 から 300 個の実験用の照明器 具を必要とした。 最初は照明器具の製造には約五 つの鋳型が用いられたのに対し、現 在では約 45 の鋳型を用いている。 7 人から成る中小企業で、 Aplomb の 製造に 3 人の工員 (Vasile と Radu と Mamadou) が携わっていたが、そのう ちの二人は成型を専門とし、後の一人 は仕上げを担当していた。工員は鋳型 には関与するが、その後のプロトタイプ には関わらない。息子の Ottavio( 製造 管理 ) と Carlo ( 営業部の設計者 ) と共 に始めた、この家庭用製品への変換は 容易ではなかった。とりわけサンドブラ スト加工の段階では、ランプシェードに 用いるセメントに開いた細孔と、粒径 が常に不規則性を保つための管理には 特別なケアを必要としたが、工員は最 初時間の無駄だと判断しそのことを重 要視しなかった。 そこで Ottavio は、照明器具製造 に携わる三人の工員を、ミラノの家具 見本市に連れて行くことを思いついた が、それは彼らが携わっている製品は 家庭向けであり、その仕上げは今まで とは全く異なる意味を持つことを理解 させるためであった。 サンドブラストの段階に移る前 の、円錐の細い部分と太い部分の、エ ッジのトリミング処理と順応的な手仕 事の重要性、そしてそれに続く、鋳型 の接ぎ跡を取り除く作業の必要性を 理解した。撥水性の素材の仕上げの プロセスと、 Foscarini の係員による 厳しい品質管理検査の終了後、全て の準備が整い、照明器具が電化され る Pordenone へと送られ、 Marcon へと戻る。 当然のことながら、ここではセメ ントの厚みを検査するために、ゲージ を用いた特別な測定が一ヶ月に約二 回も行われ、型枠からの取り外しの 後で、数センチの差が生じることさえ あった不良の建築コンポーネントを 製造していた、彼らの以前いた領域と は何ら関係を持たないこの別の世界 に、 Piccinelli は慣れる必要があった。 彼らの製造するセメントは今や鉛筆立 て、カーテンレール、蛇口等、小型化が 進み完璧な「移行」を行っている。 Vetrofond 社の二人の経営者の 一人である Giancarlo Moretti は、 全てのガラス加工に挑戦してきたが、 彼自身はザンフィリコ技術や、ガラ ス棒を窯で熱し、螺旋形のモチーフ を得るために捻る、ルトリー技法を 専門にしていると語った。しかしな がら彼の工房 Casale sul Sile では とりわけ、「全ては吹いて作られる」 のである。実際、 Vetrofond 社から 供給を受けた有名な Louis Poulsen 社は、 Arne Jacobsen の天井灯や Verner Panton のランプシェードの 制作においてガラスへの挑戦を試み るために、それまで用いていた金属 の薄板とアクリルの球体を断念した。 彼は吹きガラスやその装飾に関して は、ドイツ/ボヘミアの土地ではなく Veneto 州のものを参考にすることを 好んだ。 Vetrofond 社の Foscarini 社 との関係はもう何年にも及び、両社の 総売上高の 20% にも及ぶ。熟練した 吹きガラス職人は全員イタリア人であ り、吹きガラス職人の育成には最低で も5年を有し、長い年月が必要とされ る。仕事は特定のメーカーのモデルを 専門とする 3-5 人の工員のチームで行 われる。 Foscarini 社の場合には2チ ームが製造に加わっている。この場合 にはチームのメンバー全員 5 名が、ガ ラス吹きと仕上げの役割を交代で行 っている。ある時は、梨の形の丸い塊 pea をカンナと呼ばれるガラス棒と共 に用い、ガラス質のペーストは吹かれ てから型に適応された。プロセスは手 工業のままで、機械でできることは少 しであった。 Ludovica と Roberto Palomba の照明器具 Rituals の場合 には、吹きガラスの技を用いたプロセ スには約 3 分間、仕上げには約 10 分間 かかる。特別なタイプの石膏の様な仕
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